TAKAKURA 高倉の間
こちらの部屋の床の間はの壁紙は、現在、三条高倉に建つ煉瓦造の旧日銀京都支店(京都府立文化博物館別館)のレンガにちなんだ色合いのものを選んでいます。
高倉通は烏丸通から数えて東へ4本目の筋で、丸太町通から塩小路通まで約3.3kmにわたります。この辺りは、平安時代に天皇の御殿や貴族の邸宅が並ぶ超高級住宅街でした。
藤原氏の別邸であった「高倉殿」、足利尊氏邸宅の「二条高倉第」、後白河法皇の第三皇子以仁王の邸宅「高倉宮」などが記録に残っております。
高倉通は、1523年(大永3年)から1673年(寛文13年)にかけての一時期、頂妙寺が沿道にあったため、頂妙寺通とも呼ばれていました。
平安時代に初代関白となった藤原基経の別邸「高倉院」があったところへ、室町時代になってから頂妙寺が移されたと記しており、これが頂妙寺通の由来と思われます。
頂妙寺(ちょうみょうじ)は、日蓮宗の本山(由緒寺院)で、塔頭が八院あります(真如院、法輪院、大乗院、善性院、妙雲院、本立院、善立院、真浄院)。細川勝益から寺地の寄進を受けた日祝(にっしゅう)上人によって開山されました。