SHISHIGADANI 鹿ケ谷の間
こちらの部屋の床の間の壁紙は、平家打倒の陰謀が練られた鹿ケ谷の夜陰をイメージした色合いと風合いのものを選んでいます。
京都市左京区の東山山麓一帯に、鹿ヶ谷の地名が残されています。この地名は、滋賀県にある園城寺(三井寺)を再興した天台宗の高僧・円珍(智証大師)がこの地を訪れた時、一頭の鹿が現れ円珍を導いてこのあたりを案内したという伝承に由来します。
「鹿ヶ谷(ししがたに)の陰謀」という言葉をご存知でしょうか。この陰謀の中心人物は、後白河上皇、藤原成親及び西光等で、その舞台となったのが僧・俊寛の鹿ヶ谷山荘とされています。この企ては密告により発覚し失敗に終わりますが、後白河上皇を除き、この謀議に加わった人物は処刑または喜界島(奄美大島の東方)に流されました。中でも、僧・俊寛一人だけは許されず、喜界島で没したと言われております。